ぼくと気仙沼

2011年の3月11日

「あの日どうしてた?」は多分死ぬまで何度も話すんだろうし覚えてるんだろうな。
なんだったらこれからの人生、童貞喪失のエピソードより話すんだろうなって。
そもそもこの歳になって童貞喪失の話をする機会もぐんぐん減るだろうし。
あ、でも僕の童貞喪失はなかなか面白いと思ってるんでそれはそれで聞いてください。

で、だ。3月11日の話をしよう。
僕はその日、東京の大塚にいました。
撮影に行く前で、食事を済ませて営業さんとお茶をしながら15時を待っていた時のことでした。
自分は駅前のバスロータリーに出て、揺れるビル、大縄跳びのようにまわる電線なんかを見ながら「ああ、ダメだ」と根拠無く思ったものです。

それでも、営業さんといた分「やばいねえ」「こわいねえ」「でかいねえ」などと軽口を叩いて割りと心の平穏を保とうとしていました。
iPhoneをいじって「どうやら震源は東北の方らしいよ」「うちの実家は大丈夫かなあ。」
東北出身の営業さんがぼんやりと呟いてすこしぼんやりしてました。

ドラマなんかで見る昭和初期のテレビ中継のように、電気屋の前の人だかりに近づいて、ふたりでカメラバックの上に乗ってニュースを覗き見たとき営業さんからの一言。

「あの、津波に飲み込まれてるトコ、友達たくさん働いてるとこだわ」

そこから僕らの間には緊張感が始まりました。
東北出身、とぼんやりだけ知ってた営業さんの出身地が気仙沼だったわけです。

そこから営業さんと別れるまでの4時間くらいの間、営業さんは顔を真っ青にしたまま、実家、親戚一同の携帯、などに電話をかけ続けました。
そして繋がらないまま僕らは別れました。
幸い僕は夜には家族ら全員の無事が確認できましたが、営業さんのことはわかりませんでした。
その週末は飲み込まれる気仙沼の映像を何度も見ながら会ったこともないその人達の無事を祈るばかりでした。
僕は行ったこともないその土地のことをやたら考える週末を送ったわけです。

その直後に迫ってたイベントへの思いなんかも綴ったりしてました。

月曜になり話を聞くと親兄弟とは連絡が取れ無事が確認できたようで「実家の1階が完全に死んだよ」「でも震災の2日前にちょうど津波保険入った所だったからまだ助かったよ!」なんていつもの調子で軽く話せるようになりました。

その後はちょくちょく実家に行っては「ボランティアのブログにウチ出てたわー」とか言っていて、割りと気仙沼という土地の事は僕の頭にずっといました。

こんだけ長文でまさかのここまでが前振り。

そんなわけでその土地で友人らがピースフルなイベントをやっていて、一緒にゆかないか?と声をかけてくれたら手を上げるのは自分的にはほぼ必然なのです。

バスで向かう道中道中、南三陸の仮設コンビニで見た目は勿論なんだけど、壁に大々的に「5/1から24時間営業再開!!」って書いてあって、ここには自分の日常と同じものはないんだなって実感しました。

イベントがいかに素敵だったか、横丁がいかにピースフルでアホほどメシが美味いか、は関係者のブログ、YouTube、それからラジオ大爆発でさんざん語ってますんで興味がある人はそっち見てください。「横丁ライジング」でググればものっそい出てくると思います。

勿論色々アテられたりもするんだけど、そこにはやっぱり力強さがあって凄いなーって。
あの日、営業さんとテレビで見た、津波に飲み込まれていく風景。あの場所を真横から通る、だとか色んな感情がうずまいてしまったけれども。

みんなで泊まったゲストハウスは「元レンタルビデオ屋らしいよ」なんて話を聞いてて。
帰宅後営業さんに「どこ泊まったの?」と聞かれたので「セブンイレブンとゲオが向かい合ってる近くの、元レンタルビデオ屋みたいなゲストハウスだ」と答えたら「そこ、ウチの裏じゃね?」っつってストリートビューを見せられたら完全にそこ。
そのストリートビューにあった建物に「あー、このナニナニって書いてある建物見たよ!」っつったら「そこ友達んち」ってのもおもろかったです。

その元レンタルビデオ屋だと言われてたところはゲオだったそうで。
僕が見たセブンイレブンの向かいにあったでかいゲオは震災以降にできたらしいんです。
そんで帰宅後、たまたま見たテレビで流れた震災時の気仙沼の映像で思いっきりそのゲオが写ったりして、あ、これだ、と実感したりもしました。
なんかそういう偶然の色々がたくさんあって、感情的にも、偶然の多さにも運命じゃねえのって思わされてしまうのです。

割りとおなじみの第十八共徳丸は取り壊しがほぼ決まったそうで、もう見れないかもとも。
残すべきって人も、見たくないって人もいるそうで、俺なんかは観光名所的に残してもいんじゃない?誰だか、世界遺産にする!とか言ってなかった?なんてあっけらかんと思ってしまうんだけど、営業さんに「あれに自分ち壊されるのを見た人がたくさんいるらしいからねー」とか言われるとその想像はできてなかったなあと恥ずかしくなりました。

アテられてばっかもいられないし、だからと言って心の故郷、みたいなこと言えるほどでもないけど、色んな意味で自分にとって特別な土地のように思ってきました。
イベントのおかげで現地のひと、イベントの人なんかともSNSやなんかで関わりを持たせてもらって、個人的には勝手にファミリー感持ってみんなのことを見つめています。

そんなちょくちょく行けるわけではないけれど、きっとずっと意識してるし行ける機会には必ず行って、美味いメシ食いたいなーと思ってます。
ホント、長い時間の中でのちょっとずつの色んな偶然や思いや関わりをまとめようとしてて、何日もかけてるので文章的な温度やテンションがひっちゃかめっちゃかなのは、申し訳ないけど仕方もないのです。

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